平尾桂子の研究室

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バイリンガル・キッズの幻想

頭が痛い子どもの「言葉」問題「いいわねえ、麻里恵ちゃん。英語はもうペラペラでしょ?」「小さい時にアメリカで暮らせるなんてトクねえ。もう完璧にバイリンガルでしょう?」とまあ、こんな風によく人からうらやましがられるが、とんでもない。小さい頃アメリカで暮らしたからといって英語と日本語を使いこなすバイリンガルに「楽に」なれるものでは「絶対に」ない。そんなわけで、今回は、子どもに英語も日本語もと考えつつアメリカで暮らしている親たちの涙ぐましいお話を。さて、インディアナ州ノートルダムのアパートを引き払い、ここミシガン州アナーバーに引っ越してきてから三カ月。私は半母子家庭の心細さから、夫は毎週末の往復六時間のドライブから共に解放され、ヤレヤレこれでやっと人並みの生活ができると、気分一新、アメリカでの四年目の生活が始まったところだ。指導教授は相変わらず厳しくて、あれはどうしたこれはどうしたと電子メールでしょっちゅうハッパをかけてくるからのんびりとはしていられない。それでも、ミシガン大学に勉強の拠点を移したことで新しいネットワークも広がり、経済的なことはともかくとして、「貧乏&辛抱」の博士課程のしめくくりとしてはかなり恵まれた生活だ。アナーバーはミシガン大学を中心とした大学町で、小さいながらも楽しい街だ。コンサートや展覧会は無数にあるし、しゃれたブティックやアートギャラリーもそこかしこにある。ミシガン大学の中央キャンパスのあるダウンタウンは、神田の学生街と青山界隈が合体したような活気があり、インディアナ州のド田舎から来てしばらくは、親子三人一緒に暮らせるうれしさとあいまって街に出るのが楽しくて仕方がなかった。だが、そんなフワフワした気分が続いたのも、麻里恵の学校が始まる九月までだった。アナーバーの公立学校はある程度しっかりしていると聞いていたので、現地校は地元の公立に通うことになった。これとて、思わぬトラブルがあったりして順風満帆というわけでは決してなかったのだが、現地校での生活については次回に詳しくお話するとして、いま頭が痛いのは麻里恵の「言葉」の問題である。海外で子どもを抱えて暮らす親は、多かれ少なかれ子どもの言葉の問題に直面する。滞在期間、滞在する国や地域、また永住するのか日本に帰るのか等によって親の方針は様々だ。日本語を主にするか、現地語(アメリカの場合は英語)で育てるのか、あるいは本気でバイリンガルをめざすのか。どの方針を選ぶにせよ、共通点はただ一つ。多くの局面で親は厳しい選択を迫られる。英語と日本語がペラペラしゃべれるだけではバイリンガルとは言えない。本当の意味でのバイリンガルとは、読むこと、書くこと、聞くこと、話すこと、それらすべてにおいて、日本語でも英語でも年齢に応じた力が備わっていることだ。しかし、これがなかなかにむずかしい。ジュディーは日本生まれのアメリカ人。小学五年生になるまで東京で暮らしていた。お父さんは有名な経済学者で彼女自身も知的な雰囲気を持っている。初めて会った時、流暢な日本語で話かけられ、なんて上手な日本語を話すのかと舌を巻いたものだが、その驚きが続いたのも最初の三分間だけだった。しばらく話していると、どうも会話の調子が変なのだ。「それでね、あのねぇ、これがこうなってさぁ……」「私ったらさぁ、こうだからぁ……」英語で話す時の聡明な雰囲気とは裏腹に、それでさ、あのさ、と日本語で話し始めるととたんに小学生と話しているのかと錯覚する。そう、彼女の日本語は日本を離れた十一歳のままで止まっているのだ。だから、「ねぇ、どこに住んでるのォ?」と、きれいな発音で聞くことはできても、「お住まいはどちらですか?」という聞き方はできない。敬語や謙譲語の使い分けについては私もしょっちゅう恥をかいているからエラそうなことは言えないけれど、年齢に応じた言葉の力という意味がお分かりいただけるだろうか。タテの言葉とヨコの言葉年相応の語学力という意味で、麻里恵はどうだろう。ジュディーと同じく最初の三分間は日本語も英語も流暢に使いこなすようにちょっと目には見えるのだが、込み入った話になると英語ではまだあやしい。読む力は四年目にしてやっとついてはきているが、それでもまだESL(外国語としての英語教育)のクラスに通っている。子どもにとっても、きちんとした英語を身につけるのは大変なことなのだ。それよりも、日本語も英語も中途半端な「セミリンガル」になる危険性の方がずっと高いのじゃないかと私は頭を痛めている。特に心配なのが、彼女の日本語だ。まず、ちょっと目を離すと日本語がおかしくなる。「お母さん、来週のフライデーはフィールドトリップがあるんだって」「ナタリーったらヤなんだよ。私のこといつもプッシュするんだもん」海外で長く暮らしていると大人でもある程度は外国語が混じってくるものだが、子どもは頭が柔らかい分、症状の出方が激しい。周りの子どもを見ても、だいたい渡米五-六カ月くらいで英語が混じってくるようだ。英語が混在するしゃべり方に加え、英語をそのまま置き換えた話し方も見られるようになる。「いいなあ、マリアンは二人もお兄さんを持っているんだよ」これは、本当ならば「(お兄さんが)いる」と言うべきところを、英語のhaveをそのまま置き換えたケース。「まりちゃん、早くいらっしゃい!」「待って、今来るから」英語では「今(そちらに)行く」というのをI’mcomingと表現するが、そのままcomeを頭の中で翻訳して「来る」と言ってしまう。いわば、ヨコのものをタテにするわけだ。子どものこういうしゃべり方をその場でいちいち直すこと、それは親しかできない。日本人が密集して住んでいる地域ならばともかく、わが家の場合は一歩家の外に出ると英語の世界だから、親が直さなければ誰も直してくれない。子どもの言葉のしつけについて、日本にいた時以上に、親、特に母親である私に課せられた責任は重い。家庭で子どものおかしな日本語を直す努力を親(母親)が怠るとどうなるか。答えは単純明快だ。遅かれ早かれ子どもの頭の回路は英語に置きかえられていく。「ウチはそれで失敗したの」と、ため息まじりに話すのは昌枝さん。「いちいち直すのがめんどくさくなってついほかっておいたのよね。そうしたらあっというまに家で日本語をしゃべらなくなっちゃったわ」彼女の家に行くと、子どもは英語で話し、彼女は日本語でそれに応えている。「CanIhavesomecookies?(クッキー食べてもいい?)」「戸棚に入っているから食べなさい」子どもをアメリカ人として育てるのなら、それはそれでいいんじゃないかともいえるかもしれないが、事はそう簡単ではない。アメリカ人として育てるにしても、まっとうなアメリカ人に育てるには、やはりきちんとした英語力が要求されるからだ。よく、アメリカ人は上下関係を気にしないとか英語には敬語がないから楽だとか言われるが、それは大きな誤解である。日本語のような敬語・謙譲語はないが、時と場合に応じた丁寧な言い回しは数かぎりなくある。例えば、ある書類をタイプしてくれと頼む場合でも、「この書類をタイプしてくれ」「すまないが、この書類をタイプしてくれないか」「この書類をタイプしてください」「この書類をタイプしていただけませんか」「すみませんが、この書類をタイプしていただけますか」「お手数かけますが、この書類をタイプしてください」「この書類をタイプしていただけるとありがたいのですが」…………。ざっと思いつくだけでもこんなにあるが、この一つ一つに相当する英語の言い回しがある。こういう表現方法は年齢が上がるにしたがい身につけていくものだが、その基本はあくまで家庭での言葉のしつけにある。「それがお客さまに対する言葉づかいですか!」アメリカ人の子どもが私にちょっと乱暴な言い方をしたりすると、母親が即座に直すのを目にすることがある。また、子どもにはしつこいほど「プリーズ」、「サンキュー」と「エクスキューズミー」を言わせている。これも英語での言葉のしつけのイロハだろう。昌枝さんの子どもは、こうしたことを親から教わっていない。だからだろうか、彼らが話す英語を聞いていると、アメリカ人の親だったらとてもだまっていないような言い方をよくする。素直ないい子たちなのだが、言葉遣いを聞いている限りぞんざいな印象は否めない。さらにむずかしいのがしつけの問題だ。「子どもの頭が英語になると、しつけがむずかしくなる」と言うのは『アメリカでの暮らし方』(サイマル出版会)の著者、中野英子さん。彼女は、マザコン、ファザコンをもじった「チルコン」なる言葉を教えてくれた。母親の言いなりになるのがマザコンとすると、「チルコン」とは、親が子どもの言いなりになることだという。「『ウチは子どもをアメリカ人として育てている』とすましている日本人の親がいるけれど、アメリカ人として当然すべき基本的なしつけができていないことがよくある」というのだ。子どもが外で身につけるアメリカの子どもの価値観と、親の日本人としての価値観が衝突する場合、親がしっかりした方針を持っていないと子どもの言いなりになってしまう。文化が違っても親が子供に教えなくてはいけないことには共通する部分もあるのだが、それを放棄した「チルコン」の親は、結果として、日本人としてのしつけもアメリカ人としてのしつけも両方がおざなりになってしまう。どこに住もうと「教育ママ」「子どもをバイリンガルに育てるためには、小さいうちからしっかり母国語で育てるべきだ」と言うのは、滞米二十年の沙緒里さん。十一歳と八歳の女の子がいる。「子どもが生まれる前にいろんな人に話を聞きまくったの。アメリカで英語も日本語も両方できる子どもに育てるにはどうしたらいいかって。それで分かったことは、大きくなって両方しっかりできる子は、十四歳までのうちに母国語を徹底的にたたきこまれているのよね」「バイリンガル教育ではアナーバーで三本の指に入る」と自負するだけあって、沙緒里さんの教育方針は徹底している。「ウチはアメリカ人のベビーシッターに一度も預けたことはないの。それに、アメリカ人のお友達の家にも遊びに行かせなかったわ」彼女のやり方は、極力子どもを英語から隔離し、擬似的に作り出した日本語の文化環境の中で育てるというものだが、これを本気でやると、気が遠くなるほど莫大なお金と時間、そして手間がかかるという。例えば、何万ドルもかけて日本から本をとりよせる。絵本、学習漫画から児童文学まで子どもが読むべきものはすべて。「伝記とか児童文学、それぞれの年齢で読むべき本は読ませたい」というのが彼女の方針だが、それがどれだけ大変なことか。アメリカで子供の日本語の本を手に入れることは、日本で想像する以上にむずかしい。通信販売を通して取り寄せることはできても、日本の値段の一・五倍から二倍もするし、アメリカの物価が日本の半分ということを考えれば子どもの本一冊は大変高価なものになる。しかも手にとって選べるわけではないから子どもの好みによっては当たりハズレが出てしまう。「『怪盗ルパン』とかもシリーズをそろえてやりたいけれど、とても高くて全部は買えないのよね」そう言いながらも、買いそろえた日本語の本が、彼女の家の地下室にはズラリ。それから、毎年子どもを日本に連れて帰り、あちこち旅行する。これだってお金がかかる。「日本の歴史や地理を知らなくては日本語を知っていることにはならない」から、古いお寺を見せて、足利尊氏がどうとか室町がどうとかということも教えてやらなくてはいけない。「子どもがだんだん大きくなっていくでしょ、そうすると家の外で英語で覚えてくる情報も高度になるのよね。たとえば、最近上の子は学校でローマ史を習っているの。ローマの皇帝がどうとかローマのコインがどうとかよ。そうすると、それと同じレベルのことを日本語でも教えてやらなくちゃいけないの」そのため、ローマ史に関する日本語の本をとりよせて子どもに読ませると同時に自分も勉強し、「シーザーってカエサルのこと?」「うん、そうよ」といった会話をするよう心がけるという。やはりハンパではやっていけない。「幼稚園レベルまでは子どもをバイリンガルとして育てることは誰でもできるけれど、それ以上の年になると本当にむずかしいわ。上の子はあと三年あるけれど、がんばりきれるかどうか。でもがんばらなくっちゃ日本語が中途半端に終わってしまう。ホント、毎日が戦いよ」デトロイト近郊には自動車関係を中心に日系企業が数多く進出しているので、かなり大きな日本人コミュニティーが形成されている。その大半が三-四年で帰国予定の駐在員家庭で、方針もいろいろあるだろうが、「英語はそこそこに、日本語はしっかりと」というのが多くの人の考えのようだ。そして、子ども達は土曜日の日本語補習校に通っている。沙緒里さんも子どもを補習校に通わせているが、これも生半可なことではない。私自身も「大変よぉ」といろいろな人に言われて、ある程度は覚悟していたが、実際に麻里恵が補習校に通うことになってみると、いやはや本当に大変だ。デトロイトの補習校まで片道一時間。往復二時間。行きと帰りで合計四時間。それでもまだいい方で、往復五時間かけて通わせている人もいる。アナーバーからスクールバスが出ているが、麻里恵は順番待ちでまだ乗れない。最初のうちは親子三人仲良く家を出て、麻里恵が学校にいる間に夫と私は「デート」としゃれこんだりもしていたが、美術館もショッピングモールも一通り行ってしまうと飽きてくる。冬になって寒いので外をブラブラというわけにもいかないし、日本のように喫茶店があるわけでもない。そんな訳で、「デート」をするにせよ、代わりばんこで送り迎えをするにせよ、とにかく夫と私の土曜日は彼女の送り迎えでつぶれてしまう。スクールバスに乗れたとしても、バスがアナーバーを出発するのは朝七時半。厳寒期には真っ暗なうちにひどいときには零下三十度という寒さのなかをバスストップまで送り迎えする。しかも、スクールバスそれ自体が父母によって運営されているから、「バス当番」なるものがあって、当番の日は母親はバスに乗り込んで子どもが騒がないよう監視したり気分が悪くなった子の世話をする。父親は(逆でもいいのだけれど)緊急時に備えて自家用車で伴走する。慣れないドライバーだったり道路が工事中だったりするときにはバスを先導して道案内。デトロイト補習校の規模は大きく、生徒数は小学校から高校まで合わせて八百三十人。三つの校舎に分かれて小学校低学年では主に国語と算数を学ぶ。その校舎も現地の学校を土曜日だけ借りているので、備品をこわさないように、モノを動かさないようにと、ものすごく気をつかう。補習校も父母が運営しているから、休み時間中の子どもの監督や駐車場の車の整理、図書の貸し出し、放課後の掃除まで親が当番を組んでやる。補習校の授業日数は年間四十二日、国語の授業時間は百二十時間。日本の小学校では三百時間かけて学ぶ教科をこれだけの時間でこなすわけだから、当然宿題をもらって帰る。最初の説明会で先生からはっきりこう言われた。「補習校の授業でカバーできることは限られているから、学校にあまり期待しないように。勉強で足りないところはご家庭で見て上げてください」だから覚悟はしていたけれど、どっさりある補習校の宿題と現地校からも出される宿題で麻里恵のスケジュールはぎっしりだ。バイリンガル教育を本気でめざす場合、犠牲にするものもまた大きい。沙緒里さんの場合、それを「異国で暮らす楽しみをガマンすること」だと言っていた。また、「子どもの言葉が中途半端にならないかと薄氷を踏む思い」だとも。私もマジメな親のはしくれとして、麻里恵の言葉については大いに危機感をいだいている。しかし、お金も時間も、そして彼女にかけられる手間にも限りがある。さらに、海外赴任の駐在員家庭としてアメリカに来たのなら会社の社命という大義名分もあるだろうが、私たちは自分たちのやりたいことをやるというそれだけでアメリカに来てしまった。徹夜でレポートを書いたりすることなどはつらいとは思わないが、麻里恵のことを思うと、十分なことがしてやれない後ろめたさと不憫さで、やっぱりときどき胸が痛む。そんな私のグチを聞いてくれた先の中野さんは、こう言ってくれた。「どの時代のどの社会でも、子どもは親の限界の中で育つものよ」、と。願わくば、いつか大きくなった麻里恵がアメリカでの生活を振り返ったとき、「楽しかった」と思えることを祈るばかりである。

 

アメリカ家族留学記(2)『わいふ』Vol.258掲載(1996年3月)

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