平尾桂子の研究室

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子連れキャンパスの日

昨年の秋、ノートルダム大学で「キャンパスに子どもを連れてこよう」というイベントが開かれた。大学職員や学生が自分の子どもをキャンパスに連れてきて、一緒にランチを食べるという、ただそれだけの催しなのだが、風船や落書きチョークがタダで配られたりして、ちょっとしたお祭り気分だった。

その日私は授業の都合で麻里恵を連れてくることはできなかったが、ファミリーレストランと化した学生食堂で、他の子連れの学生と一緒にサンドイッチをパクつきながらお喋りを楽しんだ。

子連れの食事風景は日本もアメリカもおかしくなるほど似通っている。ミルクをこぼさないように、そでにケチャップをつけないように、椅子から転げ落ちないように、全方位に気を配りながら食事する芸当にどの親も長けている。

このイベントを企画したのは「ギブ・キッズ・チャンス・コアリション」というグループで、メンバーは大学の教職員と学生の有志。ノートルダム大学に付属保育園を作ることを目標に、約2年前に結成された。

この日の狙いは、キャンパスに子どもを連れてきて大学当局に保育施設の必要性をアピールしようというもので、おおっぴらな子連れ出勤も一種のデモンストレーションというわけだ。

アメリカは公的な保育制度の後進国だ。保育園の基準も州によってバラバラだし、日本のような公立保育園はほとんど無い。だから、仕事を持つ親は個人的にベビーシッターを確保したり、ファミリーデイケアと呼ばれる個人経営の託児所をかけもちしたり、おばあちゃんや親戚を頼ったり、その場その場のパッチワークで「なんとかやりくり」しているのが現状だ。

この国で公的な保育制度が発達しなかった背景には、子育てなどとというプライベートなことに税金を使うのはけしからんという論理がある。子育ては徹底的に私事だから、おカミは口を出さないかわりに手も金も出さない。

そのような状況にあってアメリカのワーキングマザーたちは、行政にではなく企業に対して保育サービスの充実を要求し続けてきた。その根拠は、男であれ女であれ、有能な人材を確保するためには彼(女)らが「後顧の憂いなく」働けるような環境整備を企業がすべきだというものだ。つまり、有能な人材を雇ってトクをするのは企業だから、その分を労働者に還元しろというのである。

「コアリション」の運動方針もそれと同じで、大学が福利厚生施設を充実すれば有能な人材が集まるから(大学にとって)トクになるし、保育園を併設することはそのための当然のコスト、という理屈である。

子育ての世界にまで、コストーベネフィットの「損得勘定」を平気で持ち込む議論の仕方に、この国のすさまじさを垣間見る思いがする。企業の保育園もあくまで有能な人材確保の手段であって、「おんな・こども」という弱者救済を目標とするものではない。

では、このような弱肉強食の国での子育てがどんなに大変かというと、それが逆に、日本にいたときよりも格段に楽な気がする。

一つには、私一人が子育ての全責任を負っているという精神的重圧から開放されたことがある。

5月号でもご紹介したが、「子どもは子ども、親は親」という一線がきっちり引かれているから、仮に麻里恵がワルサをしても、「母親のしつけが悪いからだ」と短絡的な批判はされない。

二つめには、毎晩家族そろって夕御飯を食べれること。この町のラッシュアワーは5時01分。一分たりとも残業なんかしないゾと、家路を急ぐ車で道路がいっぱいになる。

夫も私もフルタイムの大学院生というビンボー&ハードな生活だが、家族が一緒に過ごせる時間が、子育てを楽しむ何よりの「ゆとり」となっている。

そして最後に、インフォーマルなご近所同士のサポートシステム。子どもの送り迎えを分担するカープールに始まり、ちょっとしたときに子どもを預けあえる関係が、近所付き合いのなかに組み込まれていること。

「上の子が最近ベビーシッターを始めたの。よかったら使ってちょうだい」

そういって声をかけてくれたのは向かいの家の奥さん。

「孫をスケートに連れていくけど、もしよければマリーも一緒に行かないか」

試験週間でめちゃくちゃ忙しい私たちを気遣って、さりげなく手をさしのべてくれるおじいさん。

子はかすがい、というけれど、この国では子どもはコミュニティーのかすがいでもある。

 

『Como』1993年7月号掲載

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平尾桂子 Keiko Hirao

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