ニューファミリーのアメリカ

ハロウイーンに始まりニューイヤーに終わるアメリカの「ホリデーシーズン」。その最初の山場がサンクスギビング(11月の第4木曜)だ。その昔、アメリカに渡った最初の開拓者が初めて迎えた実りの秋。厳しい自然と闘って彼らが手にしたささやかな収穫を祝い、神に感謝したことを始まるサンクスギビングは、アメリカ人にとって最も大切な年中行事の一つだ。昨年招いてくれた友人のバーバラのサンクスギビングディナーには、私たちの他にバーバラとご主人双方のご両親、兄弟、いとこ、その子どもたち、総勢19人が集まった。七面鳥とクランベリー(こけもも)ソース、マッシュポテトにアップルパイなどサンクスギビングに由来のある食事をずらりと並べ、テーブルを囲んで手をつなぎ感謝の祈りを捧げる。

サンクスギビングはアメリカ開拓の歴史を想う日であり、最も強く「家族の絆」を意識する日でもある。

だが、アメリカでいう「家族ファミリー」には実に多様な形があることを、私たちは日々生活の中でよく考えさせられる。

例えば、近くの動物園には「ファミリーパス」の制度があり、メンバーになった家族は1年間自由に入園できるが、麻里恵の友達のナタリーを一緒に連れていっても、係員はいつも「ハイハイ、どうぞ」という感じで追加料金なしにスーっと通してくれる。ナタリーと私たちは肌の色も髪の毛の色も違うので「親子」でないことは一目瞭然だ。それなのに、こちらから申し出ないかぎり、「ファミリー」としてその場は通ってしまう。

「白人の子どもをアドプトしたと思ったのかもね」

冗談めかしてそう言うのはナタリーのお母さん。

アドプトというのは子どもを養子として迎えること。養子縁組をすればれっきとした「家族」になり、家族になれば当然ファミリーパスも使えるはずとのこと。東洋人の親に白人の子ども……、私たちの親子感覚とはずいぶん違う気がするのだが、実はここではそんな「家族」も珍しくはない。

白人と黒人、東洋人と白人。ファストフードのレストランなどでときどき肌の色がちがう親子とおぼしき人たちを見かけることがあるが、恋人と夫婦が見分けられるように、親子にも独特の雰囲気があるから、ああ、あの子はアドプトされた子なんだな、と思う。

異人種間に限らず、養子縁組をしている家庭は、はっきりとその事実を公言する。「この子はアドプトした子だ」と、親はあけっぴろげに言うし、周りの人もだれそれちゃんはアドプトした子と知っている。本人も当然のように「ボクは小さいころアドプトされたの」とあっけらかんとしている。

友人のエミリーは11年前3か月の男の子をアドプトしている。結婚してなかなか子どもが出来なかったので、養子あっせん団体に申込み、厳しい審査をへてアンドリューを迎えることができたという。外からは家庭内の葛藤は知るよしもないが、少なくとも「もらいっ子」=「かわいそうな子」という感覚はない。

「どうしてアメリカ人は『アドプトした子だ』とはっきり言うの?」と聞くと、本当の事実を隠す方が親子の信頼関係を損なうからと言う。

「血のつながり」や「お腹を痛めた」ことに重きをおく日本の「親子」とは関係の結びかたがずいぶん違う。

さらに、2組に1組の夫婦が離婚するこの国では、家族イコール「お母さんとお父さんと子ども」という考え方は希薄になっている。

友人のドーンは「家族と一緒にメキシコに旅行した」と言っていたが、そのメンバーは、離婚した実の父親と再婚相手の継母、継母の連れ子のステップシスター、継母と父の間にできた異母弟のハーフブラザーという顔ぶれだったとのこと。ややこしさにめまいがしてくる。

それだけではない。男と女のペアが「夫婦」という考え方すらも、ここではゆらぎはじめている。男同士、女同士のカップルも内縁関係として法律的に認める方向にあるし、ゲイやレズのカップルが養子を迎えて育てるというファミリーが全米で200万以上もあるという。

そんな家族をテーマにした「パパのルームメート」や「ヘザーの二人のお母さん」といった幼児向け絵本すらある。

父親、母親、子どもという「伝統的家族」が崩壊して、様々な「新家族」が誕生していることの社会的影響についてはさまざまな意見があるが、そんなアメリカは、巨大な社会実験をしているようにも思える。

 

『Como』1993年11月号掲載

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