保育と育児と隣人と

「きのうケイコに聞かれたベビーシッターのことなのだけど」
電話口でシンシアはこう切り出した。

 

彼女は私たちの住んでいる大学院生の家族アパートの管理人。歴史学を専攻する大学院生の夫との間に4人の子どもがいる。ゆうべに彼女に会ったとき、だれか臨時のベビーシッターを頼める人を知らないか、と相談したのだった。

 

麻里恵が病気になって2週間。ようやく回復期に入ったものの、夫と私が交代で家にいるという綱渡りは限界にきていた。二人とも勉強は遅れる一方だし、これ以上授業を休むわけにもいかない。だが、さしあたって保育園を休んで家にいる麻里恵をどうしたらいいか。親しい友達はみな共働きだし、思い浮かぶ近所の奥さんは他の子どもを預かっていたり子持ちだったり。麻里恵一人のために家に来てもらうわけにもいかない。

 

思いあまってシンシアに相談してみた。106世帯が入居しているアパ-トのメンテナンスから空き部屋の割り振りまですべてをマネ-ジする彼女が、ベビ-シッタ-人脈に一番くわしいと思ったからだ。

 

その時は、心当たりは他の子供も預かっているからちょっと思い浮かばないわと言われたが、次の日彼女からの電話で、自分の娘をベビーシッターにどうかという。「もしうちのブロンウィンでよかったら、手伝いにいかせるわよ」

 

ブロンウィンは彼女の一番上の娘で11歳。彼女を麻里恵の臨時ベビーシッターとしてよこしてくれるという。次の日の昼間の3時間ほど、私が授業に行く間だけ来てもらうという約束をとりつけた時は、本当に「地獄に仏」の思いだった。

 

アメリカに来て1年半、病気知らずだった麻里恵がある日突然鼻をクシュクシュさせはじめ、あれ、風邪かなと思うまもなく40度近くの高熱と激しい咳。アメリカに来て初めてかかった医者で「肺炎です」と告げられたときには目の前が真っ暗になった。

 

強力な抗生剤と注射のおかげで入院は免れたものの、4時間おきの吸入と薬、ひどい時には一晩中咳で眠れないという状態が一週間。

 

アメリカへの子連れ夫婦留学を決心したときから、こういう「危機」がいつかやってくるとは思っていた。そんな予感をいだきながらも「イザ」という時の手段を講じていなかったうかつさを悔やんだが、もう遅い。麻里恵の肺炎は、嵐のような大学院の学期期間の真っ最中に、しかも三週間後に大きな試験を控えた時という最悪のタイミングでふりかかってきた。だが、本当に苦しかったのは、この最悪の時期を乗り切ってから。麻里恵がヒーヒーゼーゼー言わなくなり、食欲もでてきて、「うるさい」ほどに元気になりかけてきたが、まだ保育園には復帰できない、そんな状態の2週間。

 

勉強の遅れを取り戻さねばという焦りがふつふつとわき上がってくる。しかし、たまる一方の宿題を少しでも片付けようと机に向かえば、「退屈の塊」になった麻里恵はかまってもらいたくて際限なくジャマをする。麻里恵がいると思考が中断し、思考が中断されると血管がすぐ切れそうになる私は、麻里恵がチョロチョロしても平然と勉強できる夫がシャクにさわってしかたがない。「どうして、そんなに平気で勉強できるのよ!」

 

「おまえだって麻里恵をほかっとけばいいじゃないか」

 

ほかっとけ、なんてよくそんな冷たいことが言えるわね。かまってもらえない相手には子どもはすりよっていかないだけじゃない。

 

家の中がかなり険悪に煮詰まっても、まだ私達はベビ-シッタ-を頼むことを躊躇していた。

 

その理由の一つには、近所の人にお金を払って子供を預けることにやっぱり抵抗感があったからだろう。

 

家族持ちの大学院生が寄り集まって生活しているこのアパ-トで、ベビ-シッタ-を探すことはさほどむずかしくはない。アパ-トの入居者名簿には週末OK(WE)、夜もOK(E)という具合に「ベビ-シッタ-可」の印がついているし、何人かの奥さんから「よかったらベビ-シッタ-するわよ」と声をかけられたこともあった。だが、アメリカに来たばかりのころほんの数日間パキスタン人留学生の奥さんに麻里恵を見てもらった以外は、子どもを預けたり預かったりは子どもの行き来の一環の「預けっこ」であり、ベビ-シッタ-として麻里恵の世話を頼んだものではなかった。毎日健康で保育園に通ってくれる限りにおいてさしあたってその必要性もなく、従ってそのきっかけもなかったということだろうか。

 

だが、今回、せっぱつまってシンシアに相談してみて初めて、私達が近所の人に子供をあずけることの一体何に抵抗感をいだいていたか、少し分かったような気がする。

 

まず、金銭関係を隣人との間に持ち込むことに対する抵抗感。

 

ブロンウインをよこしてくれると言われて、ほっとしたことはほっとしたのだが、その一方で、お礼をどうするか、それをどう切り出したらいいのか、頭の中はぐるぐる回っていた。そつのないタイミングと失礼にならない言い回し、日本語だったら婉曲な言い方がたくさんあるが、英語で同じようなうまい表現が思い当たらない。こちらから切り出すのを待っていたのかどうか、シンシアがこう聞いてきた。

 

「もちろん、リインバ-スしてくれるんでしょ?」

 

リインバ-スというのは、立て替えたお金を「払い戻す」という意味だが、とっさに意味が分からなかった。は?、と聞き返した私の声は、きっと間が抜けていたに違いない。「お金を払うということよ。ブロンウインも仕事としてやるわけだから。」

 

「あ、ええ、も、もちろんよ。いくらお礼をしたらいいかしら?」

 

ちょっと待ってて、ブロンウインに聞いてくる、とシンシアは言って、しばらくしてから、「時給2ドルでどうか」という。

 

「ブロンウィンがそれでよければ、おねがいしたいわ」

 

「そう、それじゃ、11時にブロンウインをよこすわね」

 

これで商談成立。短い時間だがこの取り決めが交わされる間の居心地の悪かったこと。

 

要するに、親しい友人や近所の人とあからさまに「お金」の交渉をすることに、私たちは全くといっていいほど慣れていない。

 

このことをアメリカ人の友達に話すと、みな一様にけげんな顔をする。ベビ-シッタ-はれっきとした仕事で、仕事には報酬がついてまわるし、それを交渉してきちんと決めることは当然でしょ、と言う。それはそうなのだが、私はビジネスと近所づきあいの間を彼らのように器用に飛び越えられない。

 

概してアメリカ人は、こういうことを「ビジネスはビジネス」と、とてもドライに割り切れるようだ。ガレージセールなどの不要品のリサイクルが定着していることもあるかもしれないが、友人知人の間でお金をやりとりすることにさほど抵抗を感じていない。たとえば、いらなくなった教科書を後輩にあげたときも、「お金はいくら?」と聞かれてびっくりしたことがある。ブロンウインに払ったお金は時給2ドル。昨年の夏にパキスタン人留学生の奥さんのカジャハに払ったお金も同額である。11歳の子どもの「労働」と大人の外国人女性の「労働」が等価というひどい事実はさておき、これがこの界隈のベビーシッティング料の相場であることに変わりはない。

 

さて、この2ドルを払って私たちはなにを期待しているのか。

 

まず、子どもの健康と安全の確保。つまり「死なせない」こと。もちろんそれだけではない。私のいない時間を楽しく心豊かに過ごさせてほしい。さらに加えて「愛情」をもって接して欲しい......。なんのことはない。「私」の代わりをしてほしいということだ。私が「親」としてしていること、-----死なせないこと、育むこと、慈しむこと等々------を一時的に肩代わりして欲しいということだ。だとすれば、時給2ドルはいくらなんでも安すぎる。

 

2ドル以上の価値があるとどこかで思っている労働(この言葉も子育てには使いたくない)に対して、私はどういうわけか、2ドルしか払わない。つまり他人の労働を安く買いたたいているのである。これは立派な「搾取」である。カジャハにお金を払った時もブロンウインにお金を払ったときも、「搾取」とはっきり意識したわけではないが、どこか痛み似た感覚があった。時給2ドルで安すぎるのなら10ドルだったらいいのか、100ドルだったらいいのか、ということになる。そこでハタと気づかされるのは、他人のする「保育」には金銭で計れる価値があり、「私」のする「育児」には金では計りしれない価値があるというパラドクスだ。もちろんこのパラドクスをひっくり返せば、「私」のする「育児」には時給2ドルどころかビタ一文も支払われていないということが見えてくる。自分の子どものめんどうをみても金にはならないのに隣の子どものめんどうをみると金になる、これはいったいどういう仕組みなのだろうか。隣人にお金を払うという行為を通して普段は目に見えないこの仕組みを見せつけられ、「保育」を買いたたくことによって自らの「育児」の価値をも下げるような気がしてしまう。こんなことを思う私は考えすぎだろうか。

 

ところで、みなさんは、11歳のブロンウインがどうして平日の昼間にベビーシッティングできたのか、不思議に思っていることだろう。11歳の子どもは普通学校に通っていて平日に子守のバイトなど日本の常識ではまず考えられない。

 

実は、ブロンウインは学校に行っていない。家で勉強させたほうが目がいきとどくし生活の中から学ぶことは多いという両親の方針で、学校に行かずに家庭で勉強をする、いわゆる「ホームスクーリング」だ。シンシアの家族の他にもう一家族、ホームスクーリングファミリーを知っているが、そちらのお母さんが生活すべてを子どもの教育に捧げているのにくらべて、シンシアの方はアパートの管理人をしながら乳飲み子をかかえの「先生」稼業。ブロンウインと彼女の二人の妹に十分な教育ができているのかどうか、はたから見ていてはなはだ怪しい。預けられる子どもとその子を預かる子ども-----。

 

ティーンエージャーの子守のバイトが、ベビーシッターの「労働市場」の裾野を広げていることは、子どもの預け先が手軽にあるというだけではなく、保育の「質」の問題や子育ての価値の低下という側面を微妙にはらんでいるように、私には思えてならない。

 

『こども通信』Vol.10掲載(1994年6月10日発行)

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