ある日、突然、子連れ留学
「あのさア……」暗やみのなか、隣の布団から夫が声をかけた。「2年くらい、アメリカに留学するっていうの、どう思う?……」
えっ? いきなり何を言いだすの? 留学って、勉強しにアメリカに行くってこと?今の仕事(PRコンサルタント)を深めるために、MBA(経営学修士)の勉強をしたい。会社は休職にしてもらう。まとまった勉強をするのは今が最後のチャンスだ、と、夫は熱っぽく語る。
なに言っているのよ? 勉強したいって、生活はどうするのよ、生活は。アメリカの大学の学費がどれだけ高いか、あなた知っているの? 麻里恵だってやっと保育園に慣れたところじゃない。それに、留学となったら引越しとかいろいろ大変よ。家を貸すにしたって家具を動かさなくちゃいけないんだし……。そういえば、ついこの間ローンまで組んで大きなサイドボードを買ったばかりじゃない……。
夫が留学計画を持ちだしたとき、私が真っ先に考えたのは「生活」の二文字。それも、極めて主婦っぽいレベルで。
子どもの保育所探しから引越しの手配、その他無数にある細々とした雑用をいったい誰がやるのか。想像するだけでもめんどうだ。
「そういうこと、ゼーンブ考えてから留学だなんてこと言ってちょうだい!」
そして、2年後------。
今、私たちはアメリカにいる。
夫はMBAを、私は社会学の博士号を目指して、インディアナ州のノートルダム大学に子連れ夫婦留学中である。滞在予定は3年だ。
準備に1年半かかった。
私が「その気」になるのに半年、留学準備そのものに1年。
TOEFL(外国人に課せられる英語の統一試験)に始まる一連の留学準備はそれなりに大変だったが、もっとも頭が痛い作業は「生活」をたたんでいくことだった。引越費用から留守宅の管理まで、会社が丸抱えで負担してくれる駐在赴任と違い、私たちは荷物の梱包から郵送まで自分たちでやらねばならなかった。ダンボール1箱分の雑貨を送るだけでも1万円近くのお金がかかる。この際、生活をスリムにするしかない。
私たちが結婚してから8年。余計なものは持たないように、と努めてきたつもりだったが、それでもいつしか生活のアカがごっそりとたまっていた。流行遅れになった洋服、引出物でいただいた食器、ちょっと直したら使える鞄、たまる一方の写真……。今回の留学でまず気づかされたことは、私たちがいかにたくさんのモノに囲まれて生活していたかということだった。アメリカに持っていくにも日本に置いておくにも限りがあることを幸いに、一年かけて、大量の衣類や本を処分し、シンプルライフを目指していった。
その結果-----。
私たちといっしょに海をわたったモノは、スーツケース3個分の衣類や雑貨、パソコン2台、それとプリンター。別送した荷物は本とわずかばかりの衣類。結局、本当に必要なモノはごくわずかなのだということがよく分かった。
さて、それから5か月、こちらの生活になじんでくるにつれ、ギリギリまで減らしたモノは再び増殖しはじめている。ある程度安定した生活には、子どもの工作用のダンボールやアルバムなどがごちゃごちゃ増えていくのも仕方がない。今回の渡米で一つだけ小さな誤算があった。アメリカに行くことを4歳の娘も楽しみにできるようにと、準備期間中少しづつ気分を盛り上げていったのはよかったのだが、つい口をすべらせて、アメリカに行ったらディズニーランドがあるよと言ってしまったのだ。
東京ディズニーランドにも連れていったことがなかったので、これは本当に楽しみにしていたらしい。ところが、フライトや日程の都合でロサンゼルスのディズニーランドに寄ることができなかったのだ。
「アメリカにはミッキーさんがいるって言っていたのに、お母さんのウソツキ!」なんて言われて、シュン……。
インディアナ州からはフロリダのディズニーワールドですら車で片道二日の道のりだ。東京から浦安に連れていった方が手軽だったなと思っても後の祭りだ。ミッキーマウスにはなかなか会えそうにないが、家の前の大きな木にはリスが何匹も住んでいるので、彼女はいたってゴキゲンだ。夫と一緒に名前をつけて餌づけを試みている。
こんなふうに始まったアメリカ生活。レポートとテストに追いまくられる大学院生活も楽ではないが、若いからこそ出来る苦労を買っているのだと思う。親子三人手探りで、新しい「生活」を作りだす中から見えてきたアメリカの姿を、これから3回に分けてご紹介していきたい。
『こども通信』Vol.7掲載(1993年2月14日発行)