千里の道
天才は一%の才能と九九%の努力によって作られる。
エジソンの言葉として知られるこの格言。原文では「才能」は「インスピレーション」、「努力」は「パースピレーション」(発汗)とユーモラスな韻を踏んでいる。再訳すれば、ひらめきと汗、これが天才の正体だ。
ある道でプロと呼ばれるためには最低一万時間の修行が必要だ、という説もある。一日三時間なら十年。一日一時間なら三十年。天候にも曜日にも、もちろん自分の気分や体調にも関係なく、一日も休まず続ける。これはほとんど「クセ」に近い。
ある有名歌手がインタビューで、「若い頃、どんな夢を抱いていましたか」という質問に「夢なんか見てる暇ありませんでした」とぶっきらぼうに答えていた。貧乏だった下積み時代、食べるものも食べず、なりふり構わず懸命に練習していたと。何かに夢中になること、夢中になれること、それが「才能」なのかもしれない。
私たちの多くは「天才」を目指しているわけではない。だから先のエジソンの言葉はこう言い換えてもいいだろう。
「夢中になれること、これをクセになるほど続けていたら、それで食べていけるようになる」
百年に一度と言われる大不況の中、就職戦線で苦戦している学生たち、夢がないと言われる若者に、この言葉を贈りたい。
不確実性の時代とか、安心社会の崩壊とか、世の中は大騒ぎだが、そもそもリスクのない人生、先が分かる人生なんてあるわけないし、仮にあったとしてもつまらない。
こんな説教くさいことを考えたきっかけは、なんのことはない。腰痛がひどくなったからだ。整形外科ではラチがあかないので、整体師にみてもらったら「年期が入った骨盤のゆがみです」とのご託宣。二十年かけて蓄積したゆがみを直すには、同じ時間かかるかもしれないと絶望的な気分になった。だが、見方を変えれば、二十年後に七十歳になったときに健康でいられるために、今からでも遅くない。一日三十分のストレッチを二十年やってみよう。プロを目指すわけじゃないので、それで十分だ。
さらに欲をいえば、そこそこの長生きができれば「一万時間」を確保することも不可能ではない。これから宇宙飛行士を目指すのは無理だとしても、新しいことにチャレンジする可能性は、私たちにも開かれている。
ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する道路掃除夫のベッポはこう言っている。いちどに道路全部を考えるな。次の一歩、次の一呼吸それだけを考えろ。そうするとたのしくなって、たのしければ仕事がうまくはかどる、と。
千里の道も一歩から。
背筋をのばして、きちんと歩きたい。
「悠+(はるかプラス)」2009年8月号 『砂場のダイヤモンド』