餃子の幸せ

満州生まれの父の影響で、我が家では御馳走と言えば餃子だった。お正月もメインは餃子で、おせち料理は形だけ。お客さんが来れば餃子、親戚が集っても餃子。

 

前の晩から小麦粉をこねて皮を仕込み、冷蔵庫で一晩寝かす。同じ配合でも温度や湿度によって仕上がりは微妙に違う。「耳朶くらいの堅さ」では表現しきれない、しっとり、もっちり、どっしり。それを棒状にのばし、小さくちぎり、丸めて延ばす。

 

物心がついたときから麺棒を握ってきたので、私の餃子歴は半世紀。餃子には、誰かと一緒に作り一緒に食べたという幸せの記憶が詰まっている。

 

父は5人きょうだいの末っ子で、伯父や伯母も祖母から同じレシピを受け継いだ。日本に帰ってから結婚し家庭を持ち、時を重ねる過程でそれぞれの家で作る餃子は異なる進化を遂げた。それぞれが、具の素材も味付けも全く違うものを「ウチの餃子が本家」と主張していたのもおもしろい。私の父も「オレのが本家」と言い張っていたが、彼自身があれこれレシピの改良を重ねていたので、祖母の餃子とは別物だったに違いない。その父も他界して久しく、二ヶ月前には伯母一人残して最後の伯父が亡くなった。私が作る餃子にも家族の歴史が刻まれている。

 

皮が厚かったり薄かったり、包み方が違ったり、大きさも形もまちまちで、その日の体調や気合いの入れ方で美味しさが異なる餃子―だからプロにはなれない―の出来は、なかなか100点満点には到達しないが、そこらの中華料理店の餃子よりはずっと美味しいと自負している。

 

一度だけ、とんでもなく不味い餃子が出来たことがある。一緒に作るチームに中華人民共和国の人と中華民国の人がいて、お互い「中国ではコレを入れます!」「中国ではこうします!」と五千年の歴史を賭けて互いに一歩も譲らず、船頭多くしてなんとやら。あれこれ入れた結果、味のバランスがめちゃくちゃになってしまった。美味しい餃子には人の和が必要だ。

 

家で作る餃子は手間がかかるし気合いもいるし、仕込みの段取りができる時間がある時しか作れない。家族や友人と集える場をセッティングする気持ちの余裕があって、皆が元気で幸せでなくては餃子を作る気にはなれない。

 

だから餃子は私にとって「健康と幸福のバロメーター」でもある。

 

地球最後の日に何を食べるか、と聞かれれば、私は迷わず「餃子!」と答えるだろう。前の日から皮を仕込み、心を込めて具を作り、家族と共に飲みながら、しゃべりながら、笑いながら、一緒に作って、食べる。

 

いや、「地球最後の日」は当分来ないかもしれないが、餃子に限らず次の一食が「最後の晩餐」でないという保証はどこにもない。家族や親しい友人と共に食する幸せを、改めて感謝したい。

 

「悠+(はるかプラス)」2010年1月号 「砂場のダイヤモンド」

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