ワーク・アンド・ファミリー

「働き方改革」の大号令のもと、<ワーク・ライフ・バランス>の重要性がいたる所で語られている。

—定時までに仕事を終わらせよう。

—生産性をもっと高めてプライベートも充実させよう。

だが、このワーク・ライフ・バランスという言葉、「働くこ(ワーク)と」と「ライフ(生活、命)」を対置したことで、問題の本質を微妙に外している気がしてならない。

働き過ぎで病気になるのは明らかにワーク・ライフ・バランスの問題だ。労災として認定されただけでも年に約200人、2日に一人は過労で亡くなる現状は確かに尋常ではない。

だが、日本人の働き方の見直しが重要な政策課題として浮上したそもそものきっかけは、少子化が社会問題となった1990年の、いわゆる「1.58ショック」だった。その後、出生率の低下は単なるショックではなく、国家の根幹を揺るがしかねない危機として認識されるようになり、現在までの30年近くにわたり次から次へと講じられた少子化対策の文言には、子育て支援の必要性とともに男性の働き方も変えるべきだという提言が必ず盛り込まれてきた。

つまり、働き方を見直さねばならない本当の理由は、いかにして経済発展を維持しつつ次の世代を育てていくのかという問いだったはずだ。いかにして経済的な豊かさと家庭責任の折り合いをつけるのかという問題だったはずだ。

働く人の健康や命を守ることは、言ってみれば当然のことだ。ある人が「働くこと」とその人の「ライフ」のバランスが必要なことは、基本的人権として担保されねばならない。

問題は、その人が大切にしている誰かが困っているときだ。その誰かが生まれるとき、その誰かが死ぬとき。私が自分と同じくらい大切にしている誰かがケアを必要としているとき。

子どもが熱を出して仕事にいけない。親の介護があるので残業ができない。職場で大事な会議がある日にパートナーが急病で倒れた。でも、会議に出なければクビになり職を失う。働かなくては食べていけないのに、私の大切な人が、今、私を必要としている……。

このようなジレンマは、長い間「仕事と家庭の両立」と呼ばれてきた。そしてそれは多くの場合、また暗黙のうちに、“女性の問題”だと見なされてきたのではないだろうか。

だが、本来それは女性だけの問題では決してない。男性も含めた企業や社会、そして国家の問題である。「働き方改革」の原点にたちもどるため、さらには、「働くこと」と対置されるべきは労働者の命や生活であることはもちろんのこと、ケアを必要とする「大切な人」であるという主張を込めて、私は、<ワーク・アンド・ファミリー>という視点を提案したい。

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